無事是名盤

◎=永久傑盤, ○=座右銘盤, ◇=日常些盤, △=閉口一盤, ×=迷惑千盤
(◎は○以上で、かつ偏愛している曲のみが対象)
2016年



× ビゼー 「アルルの女」組曲 第1番、第2番
  ビシュコフ パリ管弦楽団 (rec.1993.5 Salle Pleyel,Paris)
  PHILIPS 442 128-2  録音70点

残響が少ないと評判が悪かった改装前のサル・プレイエルでの録音。パリ管弦楽団は録音の際はサル・ワグラムを主に使用していて、ビシュコフも3ヶ月前の「幻想交響曲」の録音ではこちらを使用していたのだが、まずこの収録場所の違いで大きく損をしている。全体の残響が少ないのは仕方ないとしても各楽器に空間を通ることによって加わる艶や色彩感が足りない。演奏は更にひどい、ビシュコフの解釈は「お子様名曲」として故意に知らないふりをしてやっつけ仕事で終わらせたかのようで、テンポやフレージングには違和感がつきまとい、フォルテの固い音は常にイメージをぶち壊す。第1組曲のアダージョには情感の欠片も感じられず、カリヨン(鐘)ではテンポが遅過ぎて沸き立つ感情が感じられない、このような状況下では演奏者にも身が入っていないのだろう、全体を通してアンサンブルの乱れも多い。そんなわけで「パリ管弦楽団のアルルの女ならさぞや」と期待して聴くと、当盤の約20年前に録音されたバレンボイム盤以上に失望することは間違いない。バレンボイムがパリ管弦楽団の首席指揮者に就任する2年前の録音(EMI)は第1組曲のみで演奏も素直ではなかったが、まだ色彩感に溢れていて眩しかった。  (16.11.11)



○ 「バッハのアダージョ」 … J.S.Bachの作った緩やかな30曲
  シェリング、ブレンデル、マリア・グラーフ他 (2枚組)
  DECCA B0009443-02  録音80点以上

「お父さん、もうCDは要らないからMP3に変換してデータでくれる?」、これまでは形式的にありがとうと貰ってくれていたが、さすがにそう言われる時代になってしまった。昔はこのようなオムニバスを作るには玉石混交、ピンキリの演奏を寄せ集めたものだが、巨大レーベルの御三家あるいはそれ以上が合併してしまった現在では、惜しげも無くスター達による演奏が散りばめられる。このCDはDECCAレーベルに集約されたブレンデル、グリュミオー、シェリング、マリナー、シフ、リヒター他の名演奏を総動員したとてもコストパフォーマンスの良いもので、娘が好むだろうとつい買ってしまったもの。ただ聴いていくと突然、素人の演奏かと笑ってしまうものが始まり、ジャケットをよくよく見るとこれが往年のイエペスで、いかにギターが独習で演奏されるローカルな楽器であったかを窺い知ることができる。もちろんジョン・ウィリアムズの登場で、今ではギターやリュートの音楽は私の毎日の生活を潤してくれているのだが。このオムニバスの中での白眉の演奏は、ハープのマリア・グラーフによる「ガボットとロンド」、シフの弾くゴールドベルク変奏曲の「アリア」、ブレンデルのイタリア協奏曲のアンダンテ楽章、いや列挙しているときりが無い。 (16.5.19)



○ シャルル・ミュンシュ The Concert Hall Recordings 4枚組
  ミュンシュ フランス国立放送管弦楽団他 (rec.1966-1967)
  Scribendum SC 012  録音70-75点

ミュンシュはボストン響を辞した1962年のシーズンからフランスに戻り、後にフランス国立管弦楽団と改称されたフランス国立放送管弦楽団の音楽監督に就任した。1967年からはパリ管弦楽団の創立に参加するのだが、これはその直前に通信販売用に収録された幾つかの録音をまとめたCDで、レコードで聴いた折は感心できない音だったが、実際はこのような立派な録音だったとは驚きである。ミュンシュがあと10年長生きしていたらパリ管と数多くの録音が行われたであろうし、ホルンもバソンもクラリネットも伝統の楽器や音を失うことは無かっただろうから、フランスの音を愛する者にとっては実に残念なことではあるが、このセットに含まれた幾つかの音源は、それを癒してくれる貴重な記録である。特にビゼーの交響曲を含む数曲や、ドビュッシーの「海」と「イベリア」、リムスキーコルサコフやボロディン等の数曲のロシア音楽が、生粋のフランスの音で聴ける事がありがたい。このセットで最も楽しみにしていたのはフランクの交響曲とベートーヴェンの「田園」だったのだが、聴いていて少し違和感を覚えたのでジャケットの解説を確認してみると、こともあろうにこの2曲のみがロッテルダム・フィルの演奏だった、楽器の音色もそうだが音楽で最も大事なリズムの感じ方が鈍い。まあ残念ではあるが、この2曲なら他にもフランス人による良い演奏があるので良しとしよう。  (16.4.9)



○ 芥川也寸志 交響三章 (1948)
  湯浅卓雄 ニュージーランド交響楽団 (rec.2002.1.29-31)
  NAXOS 8.555975J  録音90点

日本にこんな素晴らしい音楽が残されていたのを知らなかった、彼の『音楽を愛する人に・私の名曲案内』という本は学生時代から愛読していて一字一句まで覚えているつもりだったが、肝心の音楽に興味がなかった、存命中にもっと芥川也寸志を尊敬すべきであった。曲はプロコフィエフやショスタコヴィッチを思わせる作風だが、その大作曲家達が書いた多くのつまらない交響曲よりはるかによく出来ていて、現代音楽、特に日本のそれを十把一絡げにして貶してきた自分を恥ずかしく思う。どこかで読んだのだが、このニュージーランドのオーケストラは、つまらぬ作品や能力の劣る指揮者の下では、たとえNAXOSのようなアルバイト録音の声が掛かっても拒否の姿勢をとるそうだ。しかしこの力演を聞いていると、彼らがどれ程誇らしく自分達の音を残そうとしているかがよくわかる。録音も理想的な奥行きと広がりが捉えられていて、このレーベルの音としてはトップクラス。  (16.3.30)



○ プッチーニ 「蝶々夫人」 ハイライツ
  カラヤン ウィーン・フィル フレーニ(ソプラノ)他 (rec.1974)
  DECCA 421 247-2  録音90点

ハイライツといっても目的は、カラヤンが演出し、フレーニが歌い途中からローラント・ベルガー他の最強のホルンセクションが加わる「ある晴れた日に」のアリアと悲しいフィナーレの音楽。まだ小学校に入る前だったと思うが音楽好きの母親に連れられて「蝶々夫人」の映画を見に行き、おそらく歌は邪魔だったと思うが、そのときの蝶々さん(八千草薫)の美しさと悲しさに子供ながらに感動したことがある。以来「ある晴れた日に」は何度も聞いたが、どんな日本人も日本人らしい歌を聞かせてくれず、カラヤンの徹底した管理によって歌うフレーニの演奏で初めて納得。会社勤めの最後を長崎で過ごしたときに、その美しい風景の思い出に購入したのがこのディスク。DECCAのドイツ盤は珍しく国内盤と内容が異なり、音の違いは当然だが選曲も違う。国内盤はカラヤンの死後に勝手に編集したのではないかと思われる16のシーンに分かれた細切れなのに対し、1989年にリリースされたこのドイツ盤はその半分。幸いにも「ある晴れた日に」もフィナーレも収録時間は両者同じだったから音が格段に良いドイツ盤を探した。  (16.3.7)



△ バッハ バイオリン協奏曲集、オーボエとバイオリンのための協奏曲
  ムローヴァ(バイオリン) ルルー(オーボエ) ムローヴァ・アンサンブル (rec.1995.7)
  PHILIPS 446 675-2  録音90点

トゥッティの各パートを一人ずつで演奏していて、学者が聞くと難しいコメントが入るのかも知れないが、そのようなことに縁のない素人の聞き手にとっては、「バッハのアリオーソ」として有名なト短調の協奏曲の第2楽章で明らかなように薄味過ぎて物足りないし、ノンビブラート奏法もそれを助長している。ダイナミクスやフレーズの解釈などで他人とは変わったことをしないと存在価値がないということで、長い間に多数の奏者によって多数の録音が積み重ねられてきたが、結局は聴いて快いディスクが好まれるのが世の常。実はこのディスクへの興味は最初から名人フランソワ・ルルーのオーボエにあったが、この楽器の一番のネックである低音域のコントロールが抜群に上手く、演奏の軽さに完璧に合わせている。オーボエだけは歴代最高の演奏に違いない。  (16.2.27)



◇ 「美しき夕暮れ」 フルートとハープのための、(ほぼ)フランスの名曲集
  パユ (フルート) 安楽真理子(ハープ) (rec.2003.2)
  EMI 7243 5 57739  録音80点

フランスの作品をフルートで聴くという企画でタイトルの「美しき夕暮れ(ドビュッシー)」が命名されたのだろうが、中身の9割以上は名曲のアレンジなので、どうせそうならいくらでも選曲の方法があっただろうにと、誰もがプロデューサーを疑うに違いない不思議なディスク。というのは(モンティのチャルダッシュは論外として)、最後に収められた武満徹の小曲や「春の海」によって、このCDは日本でさえ売れればいいだろうぐらいの品物に成り下がってしまっているからだ。ベルリンフィルの首席奏者なら自他共にもう少し重みのある仕事を選んで残して(やって)欲しいものである。オーケストラの中ですぐにそれと判る特徴のあるパユのフルートはあまり好みではないが、他人より目立とうという意識を要さない当CDのような環境では何の問題もなく、再生音も日本人技術者による国内での録音に比べると段違いに音楽的だから入眠効果もあって加点した。そしてひとつだけ特筆したいのは Masao Yoshida氏の編曲による(別に編曲を称える意図はない)宮城道夫の「春の海」が、長年門松を見ながら聞いていたのに、初めて良い曲だなあと思った琴(事のつもりだったが、糸しない変換間違い)。  (16.2.26)



◎ シューベルト 冬の旅
  ホッター (Br.) ムーア (P.) (rec.1954.5.24-29)
  EMI CDH 7610022 録音80点(モノラル)

モノラル録音だが音が二つのスピーカーの中央から聞こえるというだけで、代わりに奥行きによる立体感が聞き取れる優秀録音。虚飾の少ないモノラルの音がこの「冬の旅」の名演奏に一役買っている。感情過多・演出過剰の歌唱が嫌いだから「冬の旅」はこれまで少し我慢してシュライアーとシフによる録音を聴いてきたが、最近メゾ・ソプラノのファスベンダーのCDに出会って興味を持ち色々と聴いてみた。コントラルトのシュトゥッツマンはドラマティックに過ぎ、ハンプソンは低音に無理があり、ベーアはややスタイルが古くパーソンズの弾くピアノの音の収録も下手で軽過ぎる。ボストリッジは良かったが「冬の旅」の主人公としては神経質に過ぎるのではなかろうか。そのような回り道をして昔のプライやアダムやホッターに戻ったところ、これまでモノラル録音であるがゆえに聴いていなかったホッターの名唱に出会った。「冬の旅」への旅はこれで終わりにできる。  (16.2.25)



◎ ラヴェル 亡き王女のためのパヴァーヌ
  ブーレーズ  クリーブランド管弦楽団 (rec.1970.4.3)
  CBS SM3K 45 842 録音85点

ブーレーズの追悼に名盤をもうひとつ。「春の祭典」の次に録音されたのはラヴェル作品集で、同年7月に2曲、そして翌年の来日直前にこの「亡き王女のためのパヴァーヌ」と合唱を伴った「ダフニスとクロエ」第2組曲が収録された。彼はその来日の折に、誰に教わったのか日本語で「冷不冷 (ひえーる・ふれい)」とサインして「冷静だが冷たくない」と説明したというエピソードが伝えられているが、それはこの「パヴァーヌ」の演奏に顕著で、特に後半のハープのアルペジョから始まる主旋律の扱いが最適のテンポで優しく演奏されている。「パヴァーヌ」はホルンやクラリネットの音色でフランスのオーケストラ、例えばクリュイタンスやミュンシュの最晩年の録音なども良いが、そのような偏愛さえ無ければ間違いなくトップ・クラスの演奏で、再生音も非常に美しい。ブーレーズはその後ニューヨーク・フィルに異動し、そこでラヴェル全集の残りの曲を録音したが、「ダフニス」は全曲版で再録音したため、残念ながらCD化の時点で「第2組曲」のほうは省かれてしまった。しかし残念なのは誰しも同じ、その後クリーブランド管弦楽団の創立75年を記念する自主製作CD (TCO93-75)に収められている。 (16.1.24)



◎ ストラヴィンスキー 春の祭典
  ブーレーズ  クリーブランド管弦楽団 (rec.1969.2.28)
  CBS SMK 64 109 録音85点

世界中を驚かせたこの「春の祭典」録音史上のモニュメント。他の演奏と比較すると非常に落ち着いたテンポで精密さを追求しているが、ジョージ・セルに鍛えられた優秀なオーケストラが少しも萎縮することなく最高の技術を駆使して応えている。セルが健康上の理由で仕事を分担するために、ブーレーズをクリーブランド管弦楽団の首席客演指揮者に任命したとき、そのお披露目の録音として彼の研究テーマでもあったこの「春の祭典」が選ばれた。以来45年、スコアを見ながら数百回は聴いてきたが、乗り遅れなども含めたミスは1箇所を除いては皆無と言って良い程で、このような正確な演奏は他には存在しない。録音もセルの時代には遂に実現しなかったCBS社の収録としては最高の内容で、精緻な弱音から空間の限界まで広がる最大音が楽しめる。

ピエール・ブーレーズは今年の1月5日に90年の生涯を閉じた。彼の指揮者としての成功はセルによる任命が大きく係わっていただろうし、それ以上にこの「春の祭典」や、同じくセルが関係したニューヨーク・フィルでの種々の録音が無かったら、彼の指揮活動は作曲家の余技として終わっていたように思う。 (16.1.23)



◎ ラヴェル 「ダフニスとクロエ」第2組曲、「ボレロ」他
  スラトキン セントルイス交響楽団、合唱団 (rec.1983.4.4)
  TELARC CD-80052 録音100点

「良いCD」を作れば高く売れていた時代に、ベンチャー企業のTELARCがラヴェルの最も有名な曲の「良いCD」を安上がりで作るために最少の経費で録音した記念碑的名盤。しかし「安上がり」の団体を使わずに、単価は高くても録り直しの危険性の少ない優秀なオーケストラとそのシェフを使って地元のホールで僅か1日で仕上げるという力技に、ネーム・バリューによる販売枚数を掛けた利益計算で出来上がっていた事に注目したい。録音技術も優れていて、セントルイス響の管楽器奏者達の優れた技術が全く埋もれることなく、かといってピックアップされてもいないのに気の毒な程にクリアに聞きとれ、低音楽器は地響きのように迫り、弦楽器は量感たっぷりにしかも芯のある柔らかい音が楽しめるという優秀録音盤である。最近フィギュア・スケート界で満点を超える若き日本人が出現しているが、この録音も実際は105点。この僅か1日のセッションで作り上げたとは思えない精緻でしかも豪快な演奏は、アメリカのメジャー・オーケストラとして必須の、高額なサラリーで揃えられた優秀な奏者達と指揮者とが普段から関係を良好に保っていて、「無理な速度指示をしないから、その代わり完璧にやってくれ」と言えば出来上がるのだろうが、それにしても凄い。 (16.1.22)



× ウェーバー ブラームス クラリネット五重奏曲
  ストルツマン(cl.) 東京カルテット (rec.1993.12 Brahms, 1994.5 Weber)
  BMG 09026-68033-2 録音80点

これにモーツァルトの五重奏曲を加えるとこのジャンルの3大名曲となるが、演奏効果の面ではウエーバーがトップであり、技巧の誇示もさることながらメロディの美しさでも心を打つ名曲。しかしこのストルツマンの演奏はアドリブが多すぎていただけない。蛇に足どころか手まで書き加えていて、本人が遊ぶのは構わないが東京カルテットまで巻き込んでこのような演奏を商品にして売ることは犯罪にも近い。片やブラームスのほうも1976年にクリーブランド・カルテットと行った最初の録音の清新さに遠く及ばず、これもいただけない。ストルツマンはオーケストラのオーディションに失敗してソロ活動を始め、73年にアンサンブル・タッシの一員として本格的にデビューした努力の人で、前回の録音のころは私も大ファンで来日した折には駆けつけたが、他のジャンルとクロスオーバーしてからの彼のクラシック演奏は「初心」を忘れていて評価しない。ベニー・グッドマンの楷書と行書をきちんと吹き分ける偉大さが改めて判るディスク。 (16.1.20)



○ 「美しく青きドナウ」他 アルティメット・シュトラウス・アルバム
  ボスコフスキー ウィーン・フィルハーモニー (rec.1958-73)
  DECCA 458 367-2 (2枚組) 録音80-90点

毎年元旦のニュー・イヤー・コンサートの放送の後半を眺めているが、つまらない。バレンボイムの指揮の年が一番つまらなかったが、カラヤンやクライバーの頃の「演奏を授かる」感動は消え失せてどれも大差は無い。使い古して客に受けないヒントやコントの流用はまだ良いにしても、年を追うごとに代奏者が増えていて、これでは指揮者も正団員もやる気が失せるはず。そして毎年超特急で発売されるその音源は当然のように魅力に乏しいものばかり。それだけにボスコフスキーによる多数のウィンナ・ワルツの録音が多数残されているのはありがたい。ここでは「アルティメット」と題されたドイツプレスのものを取り上げるが、その名のとおり「究極の曲目選択と収録時間」の検討が行われており、人気投票にでもかけられたかのようなシュトラウス父子の有名な曲が2枚のCDに150分以上も収められている。録音はステレオ初期の1958年から15年後までの収録だがさすがにデッカのコンセプトは一定しており、どれが古い録音かを言い当てるのは難しい。中には「狩のポルカ」のように盛大な銃声が大音量で収められた驚異的な録音も有れば、弦の優しく柔らかな音をデリケートに捉えた好録音も有り十分に楽しめる。演奏は「静」と「緩」に重きを置いたボスコフスキーならではの古き良きウィーンの調べで、どんな指揮者のヨハン・シュトラウスに心を奪われても、結局は元に戻ってしまう心の故郷のような演奏が満載。  (16.1.19)



× ドビュッシー 「夜想曲」「聖セバスチャンの殉教」他
  バレンボイム パリ管弦楽団 (rec.1978)
  DGG 435 069-2 録音80点

バレンボイムの指揮するオーケストラの音楽は一様に流れない。指揮者には交通整理の役割もあり基礎となる部分の流れを良くするために立っているわけだが、70年代後半以降の彼の指揮はそれに挿す棹が多すぎて、音楽はどんよりと澱む。これではカルダンの制服を召したパリ管のメンバーから好かれていたはずはなく、彼らは国際的指揮者招聘を掲げた国家プロジェクトの要員としてサラリーマンに徹底して辛抱して演奏していたことが伺える。「夜想曲」の中間楽章の重い足取りや、「聖セバスチャンの殉教」の金管のファンファーレのやる気のなさなど生気の無いこと甚だしく、しかもこれが創立後まだ10年しか経っていないフランスを代表するオーケストラによるフランス音楽の演奏なのだから情けない。  (16.1.18)



○ ヨハン・シュトラウス ワルツと序曲集
  ウェルザー・メスト ロンドン・フィルハーモニー (rec.1990)
  EMI CDC 7 54089-2 録音90点

いわゆるベスト盤を除くと「美しく青きドナウ、皇帝円舞曲、ウィーンの森の物語」という3大ワルツが1枚のCDに同時に収められることは少ないが、その上に「南国のバラ、芸術家の生涯」に有名な序曲を2曲もくっつけた大サービス盤。断っておくが、このCDはメストがクリーブランド管弦楽団に行く前から気に入ってるので後出しの「座右名盤」ではない。彼がクリーブランド管の音楽監督に就任後もウィンナワルツをよく演奏していたのは自他ともに認める専門家であったに違いなく、その後実際にウィーンとの関連を深め、2010年には国立歌劇場の音楽監督に就任、2011年と13年にはニューイヤー・コンサートにも当然のように登場したが、多くの名指揮者がそうしたように翌14年に総監督と衝突して辞職。メストは当CDを演奏しているロンドン・フィルでも首席指揮者に着任後数年で団員と衝突して辞任している。しかし2002年に就任したクリーブランド管の音楽監督の座は2022年のシーズンまでの延長が発表されているから仕事と名声は安泰。そんなエピソードを長々と書いたのは、このシュトラウスのワルツ集を聴くとリズムのキレやフレーズの処理がとても良く、適度なオリジナリティもあって凡百の才能ではないことが歴然としているからで、「南国のバラ」でやや強引なテンポになる部分があるがそれは若気の至りとしておく。 (16.1.3)



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